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「遊識者会議」ワークショップ参加者の感想

 

皆さんから寄せられたコメントです.

01

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田口歩さん
Nagaya Project代表 / 本ワークショッププロデューサー  

 

ナカガワマサヒロさんの心を揺さぶる脚本と台詞が、女優石野由香里さんの演技で客席に届いた時、舞台袖からは、思わず涙をこぼされる、特に男性の姿が多数見受けられました。

その後、少し放心した状態での台詞の読み合いの中、音をいれたり、また相手に触れたりしながら読むことで、役の中に自分がシフトするのか、自分の中に役が入ってくるのか、分からない錯覚に陥ることに。

そこから読み上げる台詞は、もう誰のモノなのか分からないまま、こみ上げそうな涙を堪えながらの読み合いでした。

とても短い台詞なのに、読めば読むほど、自分の感覚がグラグラと。

誰の価値観なのか、分からない感覚が自分の中に根を張る時、確実にさっきまでの視点とは違う所から世界を見上げていることに気づきました。色気のない表現でいうと、イタコのようでした。笑

 

 

 
春畑セロリさん 作曲家  
http://www.trigo.co.jp/celeri/
 

まず、石野由香里さんの存在感が魅力的。

ジャンクとジュエル(すごい登場人物名だ!)という兄妹役のどちらをも、 大切に、そして堅実に演じていらっしゃる。 

 

 

さらに、ナカガワマサヒロさんの脚本の、スピード感あふれる展開。 観客の誰もが引き込まれて見守りました。

 

 

そして、そのストーリーに観客席が割り込んでしまい、各自がそれぞれに与 えられたセリフを演じてみる、というのが面白い。

「決められた枠」と「各自の自由」の微妙なバランスが興味をそそります。

もう少し長い時間、あるいは設定を思いきり変えて、あるいは相手を変えて やってみたかったようにも思います。

 

 

でも、何より心打たれたのは、ワークショップのプランニングと、演じる準備、 さらに参加者と過ごす時間・空間の演出に、緻密に、念入りに、そして真摯に 取り組まれた石野さんの姿勢。そこにみんな好感と共感と感動を覚えたのでは ないでしょうか。

 

 

私自身はナカガワさんのストーリーの中に、個人的な想い出とのリンクを発見 したこともあって、忘れられない時間となりました。

03

原 遼兵さん  IT系ディレクターアシスタント

 

あまりにも衝撃と感動と、心の動きが多すぎて書ききれない。

10時に、演劇ワークショップが有りました。
「自分のものさしをリセットする」というタイトルで、見た瞬間にピンときたワークショップがこれだった。

やばかった。

何がやばかったかというと自分の心の動き。
前半は講師の石野さんの語りを交えた演目。みるみる惹かれていった。
涙が出そうになるぐらい、心を抉るような純粋さを持つストーリーだったと思います。
後半は男女ペアで、ワークショップではそのストーリーの一部を演じるのですが、たまたま隣りに座ってらっしゃった方と価値観が表面上は似ていた。

「内面に意識を向け続ける」そのファシリテーションが素晴らしく効いたためなのか、わからないけど、男性役のキャラクターに没頭できた。
いろいろと台本の中でペアの人と遊びまくった時、いい感じの流れができたので、みんなの発表の時に速攻で手を上げてやってみた。

最初は椅子に座って対面する形、次に後ろからハグする形のシチュエーションで演じるという2つの演技をさせていただいたのですが
相手の熱が、最初の演技と2つ目の演技で違ってて(接触するから当然だけど)その時の心の動きが明らかに違った。

熱を感じ、体を動かしていく。シナリオが頭のなかでドンドン変化していく。これは何?どういう表現?兄弟愛?様々な言葉を感じながら流れを作っていった感じがあった。初めてお会いした方だったのもあって、ゼロの文脈で人と接することについての感覚を感じた気がします。

相手の熱を感じる。その時のシンクロがやばかったのでした。それは、感情を伝えるとかそういうのに似ているなと思ったのです。言葉とか、カフェで対面して会話するとかで得る感覚を、500光年(タイムリーだからなんとなく)先を超えた感覚だった。

先ほど、相手と価値観が表面上は似ていると書きました。根本的に違ってました。
演技について、相手は「自分を抑える」と言っていて
僕は「自分を解き放ち、拡大させる」と考えたのです。ベクトルが全く正反対。

確かに演技は他の人にならないといけないかもしれない。ああ、最後に読み上げていた修士論文の一部をまた読みたいのだけど、
自分を抑えるというより、自分を包んでいるカバーを取り替える。取り替えた瞬間に裸になる。その間をうねって大量に感覚を感じていく。
そんな、眼に見えないものを感じた自分は、演技した感覚が「自分を抑える」とは思えなかった。

むしろ、「これが自分だ」と思ってた執着を解き放ってパァーッと宇宙空間に波が広がるような感じだったと思う。
それに、周りの参加者の声を聞いていると、台本を読み上げながら葛藤している感じに聞こえた。多分、自分を広げるってそういうことなんだと思う。

04

川島裕子さん
北海道教育大学特任研究員(演劇教育研究者) 
 

 

Q 本日の芝居、そしてワークショップの中で印象に残っていることや感想を教えてください。

 

A 

・石野さんが、芝居を通して、物語の世界観を作られ、その物語の中に、他の参加者と一緒に住んでみるという体験をしたのですが、物語の世界に入ったり、出たりするという緩急とリズムが印象的だった。

 その空間(物語の内と外の両方)の中に居ることと、空間の変化が心地よかったです。

 

• 初めに物語を聞き出した時は、その物語や登場人物と自分との関係性は、自分の中で明確には見えてはいなかったのですが、何度目かの読み合わせをしているとき、具体的には、ジュエルからジャンクの役に代わって、ジャンクのことばを初めてなぞった瞬間に、ふっと自分との関係性ができていった。

 人によって、そのタイミングやきっかけは違うと思いますが、ワークショップ全体に散りばめられていた問いかけや活動を通して、物語の世界と自分の世界のリンクが、ビシッと(時にはふわっと?)生まれるように、ワークショップがデザインされていると思った。

 

• 最初に性別によって分かれて座ったことが印象的だった。ジャンクとジュエルという役の性別の違いからそうなっていたのか、それともペアの活動を異性間で行うためだったのかが気になりました。

 

Q 役の人物を演じることを通して、「自分ではない感覚」や「他者の世界の見えかた」などが垣間みられ  ましたか?また、そのことを通して、自分の「ものさし」について何か発見がありましたか?

 

A

• 読み合わせをしながら、自分はどちらかと言うとジュエルの要素に類似性を見出していました。

 普段、自分にとって、ジャンクの立場にいる人(具体的には母親とリンクしたのですが)のことを、ある程度は理解し、感謝しているつもりだったのですが、ジャンクの言葉を読み上げるうちに、その位置にいることで感じるだろう感情が、ぐっと身体をかけめぐる瞬間がありました。

 その後、再度ジュエルに戻って読み合わせをし、自分で新しいラインを加えていくという作業があったのですが、ただただ「相手のことをもっと知りたい」という思いから、インプロ的に問いが次々と生まれていきました。全体を通して感じたことは、やはり私はこれまで母の思いを十分に汲み取れてはいなかったのではないかという私的な感情と、他者を理解しようとするふるまいと、その体験の奥深さについてです。

05

立野 博一さん  共感コミュニケーション•コーチング  

 

 

まず私としては、「コーチング」という自分の仕事の視点から、
「あなたが人をはかるものさしは何ですか?」という最初の問いかけが、
新鮮で、あらためて「気づき」がありました。


私の「コーチング」の立場では、「できる限り、自分個人の『人をはかるものさし』を手放して、
目の前の方に向かい合う」
ーーということを大切にしています。
自分を「白紙の意識状態」にしてから、セッションするのです。


とはいえ、世の中の多くの方にとっては、それぞれに『人をはかるものさし』を形成している。
いやむしろ、「1人前の大人になる」「成人する」とは、
自分なりの「ものさし」を作ることーー
と、認識されているかもしれません。


そしてそれは、その人個人の「ものさし」であると同時に、
時代状況や、地域、社会、国家のカルチャーの影響を少なからず受けています。


つまり、世の中の多くの方には、
「自分なりの『ものさし』を形成する」ことは基本的に大切ですし、
同時に『ものさし』のバライティはひじょうに多様でもあるーーと、
気づかされます。


今回のドキュメンタリー演劇的な展開を取り入れた手法の効果によって

……
自分個人を離れて、世界中のさまざまな人達の「声」や「存在感」が感じられてくる。
当たり前のことですが、地球上の人口が70億人なら、
70億それぞれの「ものさし」や「声」があるわけで。
こうなるとカオスを越えたカオス、いわば超カオスの中で、
私達は生きているのに気づかされる。


そしてまた、私の周囲の方々では、
「自分を中心に半径1、5mしか関心を持てない」
ーーという人もおられたりします。
そうした方にとっては、「半径1、5mの範囲」に根づいている方が、
むしろ自分に正直な生き方と感じられているようです。


とはいえ、人は1人きりで生きているわけではないのも、明らかですし、
これは「世界とのつながりを喪失している・断念している状態」
とも言えるでしょう。


そして、現代日本人にとっては(少なくても東京では)
こうした「自分を中心に半径1、5mしか関心を持てない人」は、
実際多いですね。
それが「悪い」と言うつもりはありませんが……
世界との(気持ちの)つながりを喪失して生きている日本人という現状は、
やはり実在するでしょう。


ここで、ドキュメンタリー演劇という手法の可能性に、
あらためて気づかされるのです。
直線的な(リニアーな)物語に、アトランダムに多様な「証言」「声」が挿入される時、
世界はたしかに超カオスなのだけれど、
そこに風が吹き抜けるようにも感じます。

素朴でリアルな「証言」や「声」を聴く時、
自分がオーガニックな有機体として生きていることを、
想い出すのでしょうか。


物語がわかりやすく「完結していない」所も、
この日の石野さんのワークショップで良かったですね。
世界は確かに超カオスなのだけれど、
それにオープンになれている自分は、「風」を感じることも出来るーー
そんな感慨がありました。


そして、そんな超カオスな世界の中で、

「あなたは、どこから行動するのか?」

「あなたは、どう生きるのか?」

という問いかけが、浮上してくるわけです。

 

 

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