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セロカワゆカリ ひゃくいろかがみ stage2
休符の王様は虹の橋を渡る

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演じ手 石野由香里
弾き手 春畑セロリ
書き手 ナカガワマサヒロ(A.S.)

 

初演をご覧いただいた方々からの応援メッセージ!!

堤幸彦(映画監督/「トリック」「20世紀少年」「悼む人」)

 

後半の芝居、ベルトリッチの「1900」を彷彿とさせる演目で眼をそらすことができなかった。

凄い説得力でした。

このような高いレヴェルの演劇は続けてほしいです。

元劇団四季のキムスンラあたりとの二人芝居が観たくなりました。

魂を抉るような壮絶なイメージの演目で。

ヴァイオリンの生演奏とかで。

そして救い。

 

暗くとも主張ある芝居はこの曖昧な時代にもっとも必要だと思います。

何を選択していいのか解らない、でも存在感あるものを観たい(参加したい)と思っている人々の潜在意識に訴える強い芝居が必要だと思います。

 

出口 治明(ライフネット生命保険株式会社 代表取締役会長兼CEO)

 

音楽の力、言葉の力、そして生身のからだの力。渾然一体となった人間の自由な表現の原点がここにある。

 

小松健一(新聞記者/毎日新聞デジタルメディア局次長 兼 毎日スポニチTAP-i編集長)

 

 「なんと崇高な、そして清々しいメディアなのだろう! これが表現の本当の姿だ!」

 

 職業柄だろうか、石野由香里さんの公演を見て聴いて、とても感動した。その感覚が今も生々しい。表現の方法は違うけれど、世に伝える仕事をしている者として、とても嬉しかった。とても楽しかった。

 

 舞台も映画も、そして新聞も共通点がある。それは「私たちは現場の目撃者ではないし、当事者でもない。しかし当事者の喜怒哀楽をしっかりと受け止めて、現場と当事者の思い、人生を再構成し、世に伝える」ことである。見た人、聴いた人、読んだ人が他者を想像していただくことが重要なのである。石野さんの公演は、そうしたメディアの本来の役割を再認識させてくれた。

 

 石野さんの公演に文字通り、かぶりついて、かつて取材し、何度か飲み明かした映画監督、阪本順治さんの言葉を思い出した。

 

 「俳優という漢字を分解すると、人にあらず、人を憂う、という言葉である。僕も俳優も、当事者になりきるかどうかが問われている」

 

 石野さんは女優である。一方で、少子高齢化など、今の日本が抱えている課題の現場に立って、大学生たちとともに考えるアプローチを提供する、早稲田大学の教員でもある。舞台で他者を想う女優。講義やフィールドワークで学生とともに世の中にどう向き合えばいいのか、ともに考える教員。石野さんの二つの顔は見事に融合している。限りなく当事者に近づこうとしている。

 

 インターネット時代にあって、スマホで他者とつながっている、というのが現代的連帯であるようだ。でも、それは仮想の世界。リアルに相手の表情を見て、相手の立場を慮って、そのうえで人とつながる土俵をつくるのが、本来のメディアの役割ではないだろうか。匿名の誹謗中傷が横行しているネット世界を見るにつけ、石野さんの公演はまさしくメディアである。他者への想像力を常に心に留めていてほしい、との石野さんの思いがひしひしと伝わった。

 

 聞き心地のいいセリフ、見栄えのいい舞台、カッコイイ映画、分かりやすい新聞……。そういうメディアが受けている。僕も含めて、そんな時代状況をおかしいと思いながらも、流されている。

 

 流されてはいけない、考えてよ。石野さんの公演のテーマはそこにある。

 

 公演終了後、無性に人恋しくなって、初対面の観客と一緒に下北沢の居酒屋で多いに飲んだ。石野さんの公演を多いに語り合った。石野さんに乾杯である。この乾杯、いつまで続くのだろうか。石野さんを肴に人との出会いを今宵も楽しんでいる。

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